西東京市のある公園で噴水が止まっているそうです。
噴水周辺で遊ぶ子どもたちの歓声が、50メートル離れたところに住む病気療養中の方にとって苦痛ということで、その訴えが認められたそうです。決定要因は、子どもたちの歓声が60デシベル、都の条例で規定が50デシベルを超えていたので条例違反でNGという理路整然としたものでした。
ふぅ縲怩E・・
最近、ご近所の揉め事、ゴミ屋敷・騒音などの近隣トラブル、
学校や先生に対する苦情など、様々なところで、クレームの話をよく聞きます。いずれも当事者同士の解決は難しく、裁判所や警察のお世話になることが多いようです。学校においても港区は区が顧問弁護士を立てて、保護者からのトラブル処理の対応をすると新聞で目にしました。
トラブル発生が生活の場に近ければ近いほど、本当は当事者同士お互い話し合い、譲り合い、納得しあって解決していくのが、その後も気持ちよく暮らすためには必要かなあと思いますが、それが難しくなっきているんですよね。
なぜ、当事者同士の解決が難しくなっているんでしょうねえ。。。
なぜ、そんなときに調整役の人が現れないんでしょうねえ。。。
裁判所や、警察、弁護士じゃないと解決できない世の中って・・・
私にもはっきりとしたことはわかりません・・・
でも、なんか変だなあ。。。
EQって、このあたりにも活躍の場がありそうです。
当初EQはビジネスの成功に必要な能力として脚光を浴びましたが、
まさに社会生活の様々な場面でもEQが必要とされているのではないでしょうか。
「広島にゃあEQはいらん!」
私の兄の言葉です。
広島の実家で
「サラリーマン生活にさよならして独立するんじゃ!」
と言ったところ
「毎日近所の人と付き合っているこの辺では、人の感情をなんか挨拶一発でわかる。そんなもんはいらん!」
今でもはっきり覚えています。
地域で起こる近隣トラブルの続発、近所同士の揉め事・・・
人間関係の絆が強いと言われている地方都市でも、、そこで生きるもの同士、ちゃんと挨拶をして、
お互い話し合い、少しづつ歩み寄ったり、譲り合ったり、助けあったり、こういう付き合い方が薄れてきたり、隣近所との人間関係も希薄になりつつあるのではないでしょうか。
広島にもEQが必要になってきました。
ところで・・・
歓声を上げて遊べる場所が無くなることを、
大人たちは、子どもたちにどう伝えるんでしょうね。
「うるさい人がいて文句言ったのよ」と感情的に伝える・・・?
これはEQ的な説明ではないですね。
では、
「法律違反なんだから、しかたないね」と理路整然と伝える・・・?
これもEQ的ではないですよね。
これを考えることも教育だとしたら、みなさんはどう伝えられますか?
悩み多き・・・高山でした。












はい!1番YAZAWAです!
私だったら、「病気の人がいて、たくさん寝れば少しづつよくなるんだって!
だから、ママは協力してあげたいと思うんだけど、どう思う?」って聞いてあげようかな縲怐E・・。
それから、噴水じゃなぃ楽しい場所を探しに一緒に探検にでかけます(笑)
でも、それで、「協力しない」とか言う子だったら・・・
「そんな子に育てた覚えはありません!!!」って・・・(笑)
ありがちですね;
YAZAWAさん
さすがママですね。美しい答えです。
きっと「そうだね。ママ」とニッコリ笑ってくれますよ。 NAO.